事業主貸・事業主借
個人事業者の複式簿記による経理処理で「事業主貸」「事業主借」という勘定科目があります。非常にとっつきにくい勘定科目ですが個人事業者の経理においては非常に重要で、この事業主貸勘定・事業主借勘定を使いこなせるようになれば個人事業者の経理をマスターできたといっても過言ではありません。
1 事業主の私的費用(必要経費にならない支出)は帳簿に記入しない?
当然のことです。なぜならば、必要経費とは事業に必要な費用であって、私生活に必要な費用は含まれないからです。しかし、次のように私的費用が事業の資金から行われることがあります(事業用の預金口座などから口座引落しされる)。いわゆる「家事関連費」です。
●自宅兼事務所の場合の水道光熱費や固定資産税
●事業用と私用に使っている電話の料金
「こんな費用を帳簿に含めると紛らわしい」という考えもあります。しかし、事業用の資金から支払い、私用部分を除外するという方法のほうが必要経費の「集計漏れを防止」できるという利点があります。また、記帳するにあたっては事業用の預金通帳や領収書だけで作業ができることから、私的な預金通帳や領収書を引っ張り出してくる必要がありません。
必要経費から除外するには、支出総額のうち私用部分(支出総額の一定割合)を「事業主貸勘定」で処理し、損益計算(事業所得の計算)に影響しないようにしておきます。
仕訳で説明すれば次のようになるということです。電話代100の内40は私用であるとします。
(借方)通信費60+事業主貸40
(貸方)預金あるいは現金100
◆(私用と事業用に区分した後に)事業用部分のみを帳簿に記入したい?
この方法ですと預金や現金の残高が帳簿と合わなくなってきます。また、税務署はどのような割合で区分したかを調べますので、やはり総額を帳簿に記入しておくことが望まれます。
■医療費、国民健康保険料、国民年金保険料
これらは「所得控除」であって必要経費ではありません。確定申告書で引き算する箇所が違うのです。ですから、一円も必要経費にはなりませんので事業用の資金から支払ってはいけません。もし、間違って支払ってしまった場合には、全額「事業主貸」勘定で処理してください。
■事業主の取り分(生活費)の計算
上記のような支出が事業の資金から行われている場合には、その部分はすでに事業主の取り分として引き出されているということですから、それを考慮して毎月引き出す金額を決めなければなりません。
■持ち家を自宅兼事務所にしている場合の減価償却
青色申告決算書や収支内訳書の減価償却の計算の明細に、建物の購入代金の総額を記入し総額で減価償却の計算をして、その後に事業部分を一定割合(事業専用割合)で計算します。私用と事業で兼用している自動車も同じです。
2 事業主貸は個人事業者の給料!?
★個人事業者の場合、事業主に給料を支払うという考えはありません。
一方、中小零細会社(法人、事業主=株主=代表取締役・社長)の場合、実態は個人事業者と同じであっても、会社から事業主(株主=代表取締役・社長)に役員報酬という給料を支払い、それを経費にすることができます。
このことが事業主貸勘定についての理解を妨げている一因です。
★なぜ、個人事業者は事業主に給料を払えないのか?
事業主の給料(生活費として事業用資金から引き出した額)は必要経費にはならないのです。会社形態と比較して損をしている(経費が大幅に少ない)ように感じるかもしれませんが、この考えは受け入れるしかありません。なお、役員報酬には所得税が課税されます(従業員の給料と同じように源泉徴収されます)が、事業主貸勘定には所得税は課税されません(課税されるのは収入マイナス必要経費である事業所得です)。
★しかし、個人事業の事業主も生活費が必要ですので、事業用の資金から一定額を引き出さなければなりません。
その際に用いるのが、事業主貸という勘定科目なのです。事業主貸勘定は支出(資金が減る)ですが、「費用」として必要経費になるのではなく「資産」として扱われます。つまり、損益計算(事業所得の計算)に影響しないということです。
★事業主貸勘定は、事業主の給料(?)が費用(必要経費)に算入されないようにするための、経理処理上のテクニックなのです。
3 事業主貸勘定は毎月定額でなければならない?
事業主貸勘定は個人事業者の給料のようなものです(ただし、前述のとおり必要経費にはなりません)。給料であるとすれば、まずは生活費として使います。そして、生活費であるならば毎月一定額が必要となってきます。
★事業主貸勘定は、毎月、決められた日に、一定額を引き出さなければならないのか?
このような質問を受けることがあります。税金のルール上は、そのような決まりはありません。しかし、生活費であるならば、毎月一定額が決められた日に手に入るほうが、生活のめども立ちやすいです。また、事業資金の管理上もそのほうは望ましいです。
★事業主貸勘定には会社の役員報酬のようなルールはありません!
会社の役員報酬(経営者=事業主の給料)は、毎月、決められた日に、一定額を支給しなければ、会社の経費にすることができません。ただし、事業年度が変われば役員報酬の月額も変更できます。一方、事業主貸勘定は、何時でも、いくらでも、自由に引き出すことができます。
「役員報酬の額を変えたいけれども変えることができない」、「役員報酬をもらっていないのに役員報酬に関しての所得税や社会保険料を支払っている」、会社経営者からよく聞かれる「ボヤキ」です。
★「生活費をいつでも自由に引き出せる」が個人事業者のメリット(気楽さ)です!
ご理解いただけると思います。法人成り(個人事業者が会社になること)を躊躇する個人事業者が多い理由のひとつです。法人成りした会社経営者が個人成り(会社から個人事業者にすること)をしたがる理由のひとつです。「自由な個人事業者に戻りたい・・・」、法人成りをした(個人事業者を会社にした)人がこのような愚痴をこぼすことがあります。その大きな理由のひとつがこれなのです。事業主貸勘定は不可解であると同時に、個人事業者のメリット(軽快さ、自由さ)でもあるのです。
4 事業所得と事業主貸勘定の関係
■事業所得の計算(収入−必要経費)
事業所得は「収入−必要経費」として計算されます。他の種類の所得がない場合、この事業所得から所得控除(基礎控除、配偶者控除、扶養控除、社会保険料控除など)を差し引いたものに所得税が課税されます。ここで必要経費とは、事業に関する収入を得るための支出です。商品の仕入代金、事務所の家賃・水道光熱費、営業用車両の購入代金、従業員の給料などのことです。
必要経費に関して、「事業主の取り分」を従業員の給料と同様に必要経費に含まれると考えてしまう人が少なからずいます。しかし、これを必要経費としてしまうと「自分(事業主)が自分(事業主)に給料を払う」、「事業主の生活費や貯蓄が必要経費に含まれる(貯蓄がゼロならば課税されない)」ことになりますので、必要経費にできない理由をご理解いただけると思います。
「会社の場合には役員報酬として事業主(代表取締役)の給料が経費になっているのに?」と反論する人がいます。しかし、会社の場合には、実態はともかくとして法形式的には会社と事業主(代表取締役)は別個ですので、会社から事業主に給料を払えるのです。なお、この会社の事業主(代表取締役)の給料には事業主個人の税金が課税されます。一方、事業所得者(個人事業者)の場合には「事業主の取り分を引き出したこと」に対しては課税されません。
■事業主が取り分を引き出した場合の経理処理
とはいっても、事業主は事業の資金の中から生活費を引き出さなければなりません。これは、生活費あるいは労働の対価という意味においては従業員の給料と同じ性質です。しかし、所得税における事業所得の計算においては、上記のとおり必要経費に含めることができません。
そこで用いられるのが事業主貸勘定なのです。事業主貸勘定は必要経費ではなく、貸借対照表で資産として計上されます。(事業主の取り分を現金あるいは預金から引き出した場合には、現金あるいは預金という資産が減って事業主貸という資産が増えます。そして、損益には一切影響しません。)
■事業主貸勘定の年度末金額(残高)と事業所得が一致しない?
事業主の取り分が必要経費にはならないことが理解できたとしても、次に浮かんでくる疑問がこれです。
一致させることはできます!
事業主貸勘定を計上するに先立って事業所得を計算し、その額を事業主取り分として引き出せばよいのです。
しかし、「そんなにも生活費はいらない」、「そんなには引き出せない(借金しなければならない)」、「事業用に貯めておきたい」というようなこともあるでしょう。ですから、事業主貸勘定と事業所得を一致させることに意味はないのです。
事業主貸勘定と事業所得の関係は、個人事業者の簿記で最も理解しにくい部分のひとつです。ですから、あまり深入りせずに素直に事業資金から生活資金を引き出した場合(事業には無関係な費用を支払った場合)にはこの勘定科目で処理しておくことです(必要経費には含めないことです)。
5 家事関連費(支出=必要経費+事業主貸勘定)の仕訳方法
個人事業者の経理で事業主貸勘定を使うのは、事業主が生活費を引き出した場合です。この生活費の引出しは、全額が生活費として引き出される場合もあれば、必要経費と一緒に引き出される場合もあります。
事業用の資金で、自宅兼事務所の家賃を支払った、事業用と私用を兼ねている自動車の修理代金を支払った場合などがその典型です(いわゆる家事関連費)。このような場合、借方に必要経費に関する勘定科目と事業主貸勘定が計上されます。なお、支払のすべてが私用の支出であるならば借方全額が事業主貸勘定になります。
仕訳の方法としては次のように複数がありますが、いずれも結果(損益、事業所得)は同じです。
●支出の際に区分する方法
支出の際に次の仕訳をします。
≪借方≫必要経費に関する勘定科目+事業主貸≪貸方≫普通預金、現金など
●決算時に区分する方法
支出の際は次の仕訳を行います(とりあえず全額を必要経費にする)。
≪借方≫必要経費に関する勘定科目≪貸方≫普通預金、現金など
決算の際に私用部分を除外します。
≪借方≫事業主貸≪貸方≫必要経費に関する勘定科目
●決算時に必要経費として加算する方法(事業用資金からは支払わない)
決算時に事業用部分を加算します。
≪借方≫必要経費に関する勘定科目≪貸方≫事業主借
6 元入金と事業主借
「元入金」とは、事業主が事業を開始するに当たって用意した資金で、いわゆる開業資金のことです。
「事業主借」とは、事業資金に不足が生じた際に、事業主が生活用の資金で事業資金の穴埋めをした金額のことです(資金不足が生じていなくても事業主が資金提供する場合もあります)。
会社形態の経理をご存じの方でしたら、元入金が資本金(純資産)に、事業主借が借入金(代表者から)に相当することをご理解いただけると思います。しかし、会社の場合には、事業主(通常は大株主兼代表取締役)と会社が法的には別個の存在であるのに対して(課税もそれぞれにされます)、個人事業の場合にはこのような区分はありません。 つまり、個人事業者の経理においては、事業と私生活を帳簿の上でだけ区分して、生活用の資金の変動が事業資金に影響しないようにするためにこのような方法を用いているということです???
■元入金の変動
一年が終了し次の年度(暦年)になれば、元入金は次のとおり変動します。
「前年末の元入金+前年の事業主借+前年の事業所得−前年の事業主貸=当年の元入金」
個人事業者用の財務会計ソフトでは、繰越処理をすればこの計算を自動的に行うようになっていることが通常です(例えば、弥生会計ではこのようになっています)。
■引出金?
確か、そのような勘定科目もあったと思います。引出金=事業主貸でいいのではないでしょうか?
7 事業主貸勘定と事業主借勘定を相殺する
事業主貸勘定や事業主借勘定があまりにも多い場合、貸借対照表が異様な状態になります。「資産の8割」が事業主貸勘定というケースも実際にあります。
両勘定科目が多額に生じる原因としては次があります。
★事業用資金に私用の資金が混入している
事業外の収入が多額に事業用預金口座に入金された(例えば、満期保険金を事業用預金口座で受け取った)場合には、事業主借勘定が多額に生じます。この場合には、増加した事業主借勘定相当額を速やかに事業用資金から引き出しておけば事業主借勘定も消えます(事業主借勘定を借方に計上する)。
事業外の支出を多額に行った(例えば、私用の自動車を事業用資金から購入した)場合には、事業主貸勘定が多額に生じます。なお、この資金源が事業主借勘定である場合には両勘定科目を相殺してもよいと思います。
★原因が「どんぶり勘定」である場合には資金管理の見直しを!
事業主貸勘定と事業主借勘定が多額に生じる原因が、どんぶり勘定、つまり、事業用と私用の資金を明確に区別していないことである場合があります。例えば、事業用預金口座と私用預金口座を兼用している場合です。そうであるならば資金管理の方法を見直す必要があります。
8 元入金・事業主貸・事業主借、昨年末と今年の関係(弥生会計の場合)
繰越処理直後の元入金・事業主貸・事業主借の各勘定科目の金額についての質問をよく受けます。この件について、弥生会計を前提に説明させていただきます。
■事業主貸、事業主借がゼロになっている?
事業主貸は元入金の引出し、事業主借は元入金の追加であると考えられますので、事業主貸は元入金の減額、事業主借は増額として処理されます。
■元入金が昨年末の貸借対照表の金額と違う?
上記の事業主貸、事業主借による増減のほか、昨年の「青色申告特別控除前の所得金額」を加算するからです。青色申告特別控除前の所得金額は事業による儲けであることから事業の正味財産である元入金に組み入れられるのです。
★個人事業者の純資産(資本、正味財産)
個人事業者の場合には会社の場合の資本金(登記により公表された出資額)のようなものはありません。しかし、資産−負債=純資産(資本、正味財産)という考えは個人事業者にも当てはまります。それが元入金です。元入金は、事業主が事業に対して提供した資金(創業時+事業開始後)+創業以来の儲け−事業資金からの生活費など事業と無関連の支出です。
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大阪市北区与力町1−5